はじめまして

まさひろ

こんにちは!兼業Webエンジニアのまさひろです。今回は自己紹介です!

平日は会社員として勤務、仕事が終わった後と休日にWebエンジニアの仕事をしています。WordPressを使ったホームページやランディングページ(縦に長い広告のようなサイト)の制作を中心にクラウドソーシングで副収入を得ています。

元々ずっと営業ばかりしていてパソコンもうまく使えないレベルでしたが、2020年12月からWeb制作の勉強を始め、翌年1月に初案件をいただいてから3か月ほどで7桁稼ぐことができました。

そんな僕が

  • 元々どんな仕事をしていたのか
  • 兼業Webエンジニアになるためにやったこと
  • これからのこと

を思いつくまま書いていきます。お付き合いいただけるとうれしいです。

新卒で入社した住宅メーカー

選べなかった就職先

世はまさに就職氷河期。大学4年生になった僕は、面接を受けてはお祈りメールを頂戴する毎日を送っていました。おそらく人生で一番祈られた時期かと思います。

ぶっちゃけ何も考えてなかったんですよね。手当たり次第に知ってる会社とか給料の良い会社とかに応募して、それっぽい志望理由を作って話していただけなのでペラッペラなんです。そりゃ、お祈りされますよね。

200社以上エントリーシートを出し、50社以上面接を受けたました。その結果、なんとか地元の住宅メーカーの営業職として内定をいただくことができました。当時抱いていた住宅メーカーのイメージは

  • おしゃれな展示場で待機
  • お客さんが来たら接客
  • 欲しい建物を見つけてご成約

こんな感じです。

まさひろ
(大学生)

まぁ、難しくはないな。なんとかなるでしょ!

そんな軽い気持ちで入社したのが悪夢の始まりでした。

売れなかった半年間

まずはじめに抱いていたイメージがぶち壊されます。実際は

  • お客がいなけりゃ見つけてこい
  • 展示場で接客できるとでも思ってるの?
  • 契約できない人は帰れない

なにこれ?新入社員はもれなく家に帰れないじゃん!と思われたかもしれませんが、ぶっちゃけ上司が仕事している限りは帰れませんでした。

なんというか、そういう空気なんですよね。定時に帰ろうとすると「え、もう帰るの?」みたいな。

多くの人は半年もすれば営業のコツも覚えてきて少しづつ契約が取れるようになり、上司縛りから解放され人間らしい生活が送れるようになるのですが…

ぼくは入社して半年間一度も売れませんでした。はやく人間になりたいと願う毎日。でも売れないんです。

事務所には契約数が一目でわかる棒グラフが一番目につくところに張り出されています。そのグラフで唯一線が伸びていないのがぼくでした。

すがすがしいくらいの水平線。ついたあだ名が「永遠の0」ですからね。岡田君も真っ青ですよ。

今思えば「営業すること」に罪悪感を持っていたんだと思います。自宅訪問や営業電話など周りの人がやっていることができませんでした。

だってされたら嫌じゃないですか?されて嫌なことは人にしてはいけません、と小さいころから教わっていたぼくは一切営業活動ができなかったんですね。

しかも、頑張ってないし売れないという「人罪」(当時社長に言われた言葉)だったので毎日のように辞めることばかり考えていました。そんなある日、一人のお客さんと出会います。

初めて契約したお客様

いつものように住宅地の草取りをしていると1台の車が入ってきました。降りてきたのは若い女性と生まれたばかりの赤ちゃん。見学したいとのことだったので草取りの休憩がてら案内することにしました。

話を聞くと、最近子どもが生まれたので新居を検討しているとのことでした。でも、資金的に厳しくていろいろな会社を見て回っている最中だったそうです。なにより驚いたのがぼくと同い年だったということ。

小さい子どもをつれて一生懸命家を探しているお客さんを見て「なんとかこの人が新居を見つけるお手伝いができないか」と思うようになりました。

理由があれば動けるもので、旦那さんにもお会いして一緒に家探しを手伝いました。途中で両親も加わり、さまざまな物件を見たうえで一番住みたいのはぼくが草取りしていた場所という結論になりました。

資金面が厳しい状況だったのですが、一緒に家探しをしてくれた両親が支援してくれることになり、はじめて契約することができたのです。ついに「永遠の0」を突破することができました。

この経験から、営業ってお客さんの悩みを親身になって解決することなんだなと考え方が変わったことを覚えています。

社会人としての基礎を学んだリクルート

安定を求めて大企業へ

だからといって爆発的に売れるよなサクセスストーリーを築き上げることもできず、本格的に転職を考え始めます。

なにより、この会社の給料が「売った分だけ上がるが売れないと新卒の基本給くらい」というハイリスクハイリターンだったんですよね。

人罪

安定が・・・欲しい・・・!!

そこで3年間営業経験があるということだけを武器に大手企業への転職活動を開始します。そして、奇跡的に「リクルート」への転職が決まりました。

勝ち組

これで人生勝ち組だ!ひゃっほーい!!


入社後しばらくして、この浮かれ野郎はとんでもない場違いなところに入社してしまったことに気づきます。

言葉がワカラナイ

朝メールを確認するとこんな感じの文章が書かれていました。

上司

来週のMTGまでに各自KPI達成に向けたマイルストーンをスプレッドシートに記入してください。

浮かれ野郎

???(全部わからん)

もうなに書いてるのかさっぱりなんですよね。いや、何かに記入するのは分かった。MTGってなに?TKGは知っているよ?おいしいよね!ぼくはうま味調味料を少しかけるのがおすすめです!

とまぁ、いきなり言葉の壁にぶちあたることになったのです。メールが来るたびに意味をググる、会議の間も分からない単語をググる。今考えるとググる力はこの時から身についていたかのかもしれませんね。

そんな言葉もわからない状態からのスタートだったのですが、先輩や上司はときに優しく、ときに厳しく、本気で人の成長を考える人たちだったのでこの会社でがんばっていこうと決意しました。

講演会の講師

当時の仕事の内容を簡単にお伝えすると、キャリア教育に関するテキストを高校へ導入するための営業活動、といった感じでした。

ぼく自身が営業するのではなく、専任のスタッフが営業をするのでぼくは進捗管理やサポート業務がメインでした。そして、大きな仕事の一つが「講演会の講師」というものでした。

高校生に、自分の将来について考えるきっかけを作ってもらい、高校3年間でどんなことに挑戦したいのかを考えてもらう、というような内容の講演会。

想像してください。300人の生徒や先生の前に立ちマイク一本で50分間話し続けるプレッシャー。

プレッシャーに押しつぶされているのが一番わかりやす図
段ボールの中

震えますよね?

それでもやらなくちゃいけないのが会社員としての務め。というか、もう講演デビューの日が決まってます。デビューに向けて毎日のように練習し、先輩に見てもらってはフルボッコにされ、改善して再度見てもらってはフルボッコにされました。ねぇ、あめとむちって知ってる?と何度も心の中で嘆きました。

でも、そのおかげで強靭なメンタルを手に入れることができました。社会人経験ってこういうプレッシャーの中でやり抜くことをいうのかもしれませんね。

最後の練習で「自信をもって行ってこい」と背中を押してもらった時は泣きそうでした。そして無事初めての講師としての仕事をやりきることができました。

一度できたら、あとは進化させなくてはいけません。どうすれば高校生が飽きずに聞いてくれるのか?どうすれば行動に移せるような気持ちになれるのか?など常に考えて講演で実践し、気づけば累計10000人以上の高校生に「自分の将来」について話す講師になっていました。

自分の将来について考える

たくさんの高校生に伝えていく中で「ぼくの将来」について考えるようになります。今までぼくは何か目標をもって仕事を選んだのではなく、消去法で決めてきました。

まさひろ
(30歳)

本当にやりたいことってなんだろう?

そう考えた時、はじめに浮かんだのが自分のスキルで生きていくという生き方でした。

エンジニアへの挑戦

人生を変える動画

でも、個人のスキルで生きていくって具体的に何をしたらいいのかわかりませんでした。営業としての経験は売るものがあるから生きるわけで、講師としてのスキルもコンテンツがあるから成立するわけで、今の自分には何もないと感じていました。

現実逃避気味にYouTubeを見ていたときにある動画を見つけます。マナブさんの『プログラミングで「月5万円」を稼ぐために必要な学習時間を解説する』というものです。個人のスキルだけで生きていけるんだ、と衝撃が走りました。そして、エンジニアへの転職を決めます。

30代未経験で入社できる会社は少なかったのですが、今までの経験を評価してくれて1社内定をいただきました。地元の福岡から長野へ引っ越すことになりましたが、修行だと思いその会社に入社。しかし、そこではじめてエンジニアにもいろいろな種類があることに気づきます。

ぼくが配属されたのはネットワーク系の部署。黒い画面に白い文字を打ち込むことが1日のほとんどです。あれ?HTMLとかCSSとかいつ使うん?と不思議に思っていましたが、そもそも職種が違うのでまったく使わないんですよ。もういい加減ちゃんと調べてから行動してほしい。

それからの約2年間は新しい仕事を覚えたり、ネットワーク系の資格をとったりで自分がやりたいと思ったことと違う日々を過ごすことになります。

人生を変えるブログ

さすがにやばいと思って毎日のように「30代 プログラミング 独学」のような検索をしてはブログを読みあさっていました。2年間なにも変わっていない自分に焦りまくっていたのです。

そんな時に出会ったのがはらブログです。

学習のロードマップはたくさんあるのですが、稼ぐための方法まで詳しく書いてあり「この通りに進めればいける!」と直感がはたらきました。

やることが明確になれば、あとはその通りにやるだけ。平日は5時間、土日は10時間以上学習に費やしました。毎日の学習記録を残すためTwitterも開始。とにかく必死でした。

学習のロードマップが終わりかけた時に、はらさんがcodolifeの1期メンバーを募集しているのを知ります。正直、どんなものかもよくわかってなかったのですが秒で応募しました。

学習途中だし、WordPressとかよくわからんけどこの機会を逃したら絶対に後悔すると感じたからです。その思いが届いたのか、codolife1期としてアホほど行動することになります。

人生を変える3か月

2021年1月4日。初めてのミーティングがあり、その時のぼくの目標は以下の通り。

  • ポートフォリオ作る
  • クラウドソーシング系の登録
  • WordPressを扱う
実際に書いたマインドマップ

営業の準備すらできてない状態です。でも、ここからアホほど行動しました。本気で人生変えようと思って起きてる時間はずっとWeb制作に関わる時間にあてました。

codolifeに加入して2週間後。今まで自分の意思で決めてこなかったぼくが、初めて自分で決めた目標を達成することができました。この日のことは今でも鮮明に覚えています。

この後立て続けに案件を受注することになるのですが、忙しすぎて週1のミーティングのたびに生気が失われていくのを心配されるほどでした笑

でも、本当に人生を変える3か月だったと思います。

これからの話

アホほど行動して出来ることが増えたのと同時に自分のスキルのなさを痛感しました。

もっと魅力的なデザインを作りたい。
もっと集客につながる提案がしたい。
一からコーディングでオリジナルサイトが作りたい。

やればやるだけ足りないものが見えてきます。でも、これってアホほど行動した結果気づけたことなんですよね。なにもしないままだったら未だにProgateの道場で返り討ちにされてにんじゃわんこと特訓を続けてます。

そして、アホほど行動してたくさんの人とつながることができました。

今でも週1でMTGするチームメイト。
朝活いっしょにがんばる人たち。
一緒にふざけて笑いあえる人たち。

この人たちと出会えたから、大変なこともあるけど楽しくやっていけてるんだと思います。

このブログではまだまだひよっこWebエンジニアのぼくが案件や学習での学びを発信していきます。いきなり超有益なことは書けないかもしれませんが、このブログを見てくれる皆さんと一緒に成長していきたいです。

今後ともよろしくお願いします!